髪は命~髪との付き合いが終わる時~♪前橋市の美容室ビビ♪

こんにちは!池田です^^
いつもビビブログをご覧いただきありがとうございます。

前回、白髪染めをいつまで続けるのかについて書かせて頂きました。
今回はその追伸という意味合いも含めて
88歳になる自分の母の髪の移り変わりの様子をお話させてくださいね。

母は2か月に1度パーマ・カラーをしていました。
それを私が出来るようになったのもやっとここ4年ほどなんです。
自分の事しか考えられない罰当たり娘ですので
母の事など後回しにしていました。反省・・・

それまでは近所のパーマやさんに行っていたのです。

苦労して娘を美容学校に出して一人前?にしたのに
自分の頭もやってくれないなんて、と
母が思ったか思わなかったかわわかりませんが
親孝行の押し売りをするため
片道2時間半、道具を持って
1日がかりで実家通いをするようになりました。

そんな事でも無いと実家に行く理由もなかったですし・・・。

無一文の父に嫁いで苦労して来た母です。
そんな事がわかる年に今更なったってことですね。
じゃじゃ馬娘のせめてもの罪滅ぼしの真似事です。

そんな中、85歳の夏に脳梗塞で入院した時に
染められなくなったのをきっかけに
”もう染めるのはやめようか”という事になりました。

入院がきっかけで否応なしというパターンは多いですね。
言わば自分からはやめられないってことですよね。

白くなる髪をみては『真っ白だねぇ・・・』と嫌がっていました。
それからは白髪のパーマスタイルのおばあちゃん。
それはそれで綺麗だったのに鏡を見ては白い事を嘆いていました。

カットやパーマをしている間も
何か話さなくてはいけないと気を使っていたのでしょう。
まだ結婚しない孫がいて心配。
幾つになって何をしている?とか
同じ事を何度も聞くヘビーリピートのエンドレスバージョンです。

それから2年半ほど経つ間に
会話ももっともっとヘビーになって
行くたびに確実に老いていくのが
手に取るようにわかりました。

いつも鏡を見て
”きれいになったー。よかったー。”
と、言っていたのに
ある日変化に気づいたのです。

終わっても鏡を見なくなっていたんです。

”えーっ!それじゃ苦労してパーマかけている意味なんて無いねぇ。”
長い間座っているのも大変だしもうパーマもいらなくなったんだね。

そう言えばあれだけ口説いていた心配事も
今では一切言わなくなっていました。
ただチョコンと椅子に座って”終わったかい?”と言うだけ。
鏡は勿論見ずに小さな背中を丸めてコタツに座り込みます。

そしてただ食べて寝るだけの生活。
トイレに行くのも立派な仕事。
それも間に合わない時のためにオムツもはいたりして。

縁側に陽が入る日には
そこでみかんを食べたり寝転がったり。

女・嫁・母・たくましい働き者(男)・嫌な姑・おばあちゃん・ひいおばあちゃん・・・・。

色々やってきたけど今では人間であることさえ忘れている・・・。
ただの生き物になったなー。
可愛らしくなったもんだ。

今年(2017)3月に米寿のお祝いにと温泉に行きました。
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”人生にこんな幸せな日が来るなんて思ってもみなかった”
と言ったかと思ったら・・・

大きいホテルでお風呂まで遠くて歩いていくのに疲れると
”あー、こんな思いをするなら来るんじゃなかった”
などと口走るなど、もう何がなんだか。

実際母はもう一人での入浴もできないくらいになっていました。

兄嫁様と私、二人がかりで何とか成し遂げた次第です。
(お嫁さんありがとう)
無理やり連れていった子供たちの
自己満足に過ぎなかったのかも知れません。

母のヘアスタイルは今では俗に言う”介護カット”(笑)
物忘れがひどいために愚痴も言えなくなったのか
いずれにしても楽になって来ている気もしてきました。

神様は人生の終盤を迎える準備を少しずつしてくれているんでしょうかね。

髪は長い友達とよく聞いたりします。
生まれてから死ぬまで色々形を変えて
楽しませてくれた髪にもそろそろお礼をいう時期(介護カット期)が来たみたい。

最後にこんなことわざで締めくくりたいと思います。
”子供怒るな来た道だから。年より笑うな、行く道だから”

母にはあとどれくらいの天命が残されているのでしょうか。
自分も行く道だと思うと・・・とっても複雑です( ^ω^)・・・

池田でした。

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